昔の人やべえな

一万円の肖像画として知られる福沢諭吉

諭吉さん大好きな人はたくさんいるだろう

 

今日は福沢諭吉の生い立ちや、性格、残されている名言・格言の数々から、福沢諭吉がどのような人なのかを探ってみましょう。

 

ってことを書くわけではありません(笑)

福沢諭吉については各々調べてもらえればと、、、、

 

それでもどんな人物だったのかだけ

 福沢諭吉の生きた時代は江戸時代の末期から明治にかけて、時はまさに明治維新のさなかです。福沢諭吉は武士であり、蘭学者であり、著述家であり、啓蒙思想家であり、教育者でもあるとわれています。これに慶応義塾の創設者も加わるわけですから、福沢諭吉の肩書はなかなかの数です。肩書を見るに、育ちもよく指導者としての器も大きいことがうかがえます。福沢諭吉が残した名言や格言の数々も、その指導者としての器の大きさが反映していることでしょう。

 

 

 

なぜ今回福沢諭吉を上げたかというと

 

読んでいた本の中に諭吉が4尺の刀で居合の形をした遣って見せたという風に書かれていたから

 

ただそれだけ(笑)

 

僕自身、刀なんて持ったこともなければ見たこともないし、剣道や居合の心得があるわけでもない

 

それでも想像してみてどれだけすごいということをしているのかはわかる

 

 

4尺というと約120センチだ

 

更に柄の部分が加われば少なくとも全長で160センチはあったんじゃないだろうか

ちょうど僕の身長より少し短いくらいだ

 

それを自分の腰に差し、鞘から抜く姿をイメージしてみてほしい

 

無理でしょ

 

どう頑張っても抜ける気がしない

 

それをやってしまう身体操作はどれほどのものだったのか、、、

 

昔の人の身体は異常だ

 

もしかしたら昔から見たら今の日本人の身体のほうが歪なのかもしれないが

 

 

その他にも平山行蔵という武芸者は8尺5寸(約255センチ)の木刀を使い、7貫余(約26キロ)の鉞のを片手で振り、差料はどれも3尺8寸(約114センチ)、刀の柄は腕の長さとほぼ同じ。

 

と記述されている

 

もうわけわかんないわ

 

刀ではないがバットはいままで振っていたが

115センチくらいのトレーニング用を振るのも楽ではなかったがその倍の長さのものをふるって、、、

 

でも事実存在していたらしい

 

他にも米を6俵(360キロ)持ったり、両腕をピンと自分の肩まで上げた状態で米俵一つづつもっていたとか

 

もう昔の人の話を聞くのはお腹一杯です(笑)

 

 

だが昔の人と今の人の身体の構造は一緒のはずだ

 

そんな身体になるということは不可能なはずがない

 

ということはただ昔のほうが自分の身体をよく知り、正しい使い方をしていたというそれだけの話だ

 

今は筋肉をつけすぎだと思う

僕もそうだった、高校に入り充実したウエイトトレーニング生活を送っていたが

付けた筋肉が運動において有効だったというわけではない

それどころか故障も増えていった気がする

 

むしろ邪魔していた

 

まだリトルでやっていた時の身体のほうがまだましだった

 

筋肉=運動能力というわけではないということだ

 

ある陸上の選手は腹筋をやめただけでタイムが速くなったという

 

別の陸上選手は後ろから自分のお尻を狙うオカマが猛スピードで走ってくるという想像だけでタイム速くなったらしい

 

イチロー選手も無断な筋トレはせず最小限しているだけだ

 

どうやら筋肉があればいいという話でなないらしい

 

 

これも一種の洗脳一種の洗脳だと思う

 

昔は家の手伝いをしていく中で自然と必要なものだけついていき

親の体の使い方を学びながらそれを自分にトレースしていったからこそ

米俵を何個も担げるとかいう芸当ができたんだと思う

 

だから筋トレなんかする必要がなかった

 

ただいまはそんな背中を見してくれる親が少ないんじゃないかな

 

とりあえずはきょうはここまでにします

 

それでは

 

 

あ、もし身体についての興味や長年の抱えてる悩みがあるようだったら

ここを訪ねてみたらいいと思う

 

いい方向に進むはず

 

 

 

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