「個室、個食はいかん」を読んで

久しぶりに小川三夫さんの「不揃いの木を組む」という本を開いた

小川三夫さんは「最後の宮大工」と言われた西岡常一さんの唯一の内弟子で、法輪寺三重塔、薬師寺西塔、金堂の再建では副棟梁を務め、宮大工を育てる「鵤工舎」を創った人物だ

 

以前一回読んだ本だったから、内容はある程度知っていたけど

 

ブログなに書こうかな~なんて思っていた時に、デスクのわきに積み重なっている本の中で、今日はこの本に惹かれたので再び読んでみた

 

がっつり読むつもりもなかったのでなんとなく開いたページだったけどいいなっておもったから今日はそれをテーマにしようと思う

 

開いたところは「個室、個食はいかん」という題だった

 

今の時代は昔に比べて、地域やご近所さんのとのつながりが希薄になっているといわれてますよね。

 

僕は東根市の山奥にこして1年半ぐらい経ちますが、地元静岡に比べるとかなり濃い付き合いがまだ残っているなと良く感じます。

 

今回書かれていたことは、さらに内部の家庭内の話でした。

 

今だと子供一人ひとりに個室が与えられて、親や兄弟の間でも距離ができ、ふれあいの時間が少なくなっている、個室で育って自分を隠すから、仲間同士でもその影響が出てくる。

 

と書かれていました。

 

仲間同士での影響が出ているのかはわかりませんが、親や兄弟間での距離が出来ているというのは確かにそうだなと思いました。

 

僕は下に3人の兄弟がいます。

 

下の2人まではまだふれあう時間は多少はあったとは思う、中学の時に前住んでいた家を引っ越し、しっかりとした自分専用の個室を与えられたときから、距離ができ始めたなと今だと思えます。

 

僕は4兄弟の長男です

 

一番下の弟は9つ離れていますが、部活の関係で朝早く出て夜遅く帰ってくる生活をしていたため平日はまず顔を合せなかったし、休日で早く帰ってこれて晩飯を家族で一緒に食べられる機会があっても、食べ終わったらすぐに部屋に入ってしまうといったことしていました。

 

その結果弟からしたら兄がいるという感覚が、つい最近までなかったらしい

(あ、あと真ん中の2人は女です)

弟は「家でたまに見かける誰か」ぐらいの印象だったと母親から聞かされました。

 

それだけ家族で同じ家に生活しているにも関わらず、距離が出来てしまっていた。

正直、当時の僕はそんなつもりもなかったですが、母親から話を聞かされた時はショックを受けましたね

あ、これだけ長く同じ屋根の下にいても全くと言っていいほど弟のこと知らないわって

 

 

「個食」についても、

「個食」はあかんわな、なんもなくても家族みんなで食っていれば、いろいろなことがわかるわけよ。

と言ってた

 

僕が今いる「あらえびす」はみんなで共同生活している

 

いつも顔を合わせて、同じ釜の飯を食っているからこそなんとなく1人1人の雰囲気がわかってくる。

 

そして一緒に仕事しているから、この人はこうふうなんだ、あの人はああいう考え方なんだって気が付いていいける

 

「あ、今日体調わるいのか」とか

「なんかいい事でもあったのかな」「なんか悩んでいるな」とか

 

互いがいたわっている気持ちがある

 

そんなのをみて家族だなって感じる

 

さらに今ではうちの活動を応援してくれているサポーターさんも家族のようになってきている。

僕の中では親戚のおっちゃん、おばちゃんみたいな感じもある

 

もっと個性を大事にや個人の生活を大切にっとか言っているが、そればっかりでもない気がする。

 

1人暮らしではない共同生活しているからこそ学べることも多々あるはずだ

 

なんも出来ないのが一人でいてどうする。よけいなことを考えるばかりだろ。みんなといれば、他の人を見て考えられるんだ。

人間、一人で考えたってろくなもんじゃないぞ。答えがわからなくたって、他の人を見ていればわかってくることもある。わからないやつが一人で考えたり悩んだって、答えなんか見つからないよ。わからない、見つからないから悩んでいるんだろう。答えは外にあるんだ。

 

「あらえびす」にいる人たちやサポーターさんを含めてさまざまな人がいる。

年齢も、職業も、考え方も、性格も、いろいろだ。

 

学生の時は、なんとなく似たような考え方の集まりだった

そこから外れていた人は変わり者として、忌み嫌われていた。

 

でも僕がいるところはは変わり者だらけだ

 

だがそれがいい

 

そういう人たちと出会えるのは貴重だと思う。

 

たくさんの素晴らしい先輩方を見て自分はどうなっていくのだろうと思い描く

 

だからこそ、今いる場に飛び出してこれてよかった

 

地元で個室に入ったままなら、こうはなっていなかったはずだ

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとう

 

さいなら