童貞思考
山形に来て1年半、6月ごろになるとあたり一面サクランボが鮮やかに道を彩ってきます。
地元のおっちゃんがサクランボもってきてくれたりしてくれて最初は嬉しくて思って食べまくりましたよ、でもそれも続かなかったね、だって毎日毎日家の前にパレットいっぱいのサクランボが何段も重ねてあるんだもん。同じものを食べ続けるという事の限界を感じましたね(笑)やっぱ節度をもって食べるの超大事。
サクランボの話は置いといて、本題に移ります。
『童貞日記』と自分のテーマ決め書き始めましたが、童貞とは何か、、、
童貞という言葉をgoo辞書で調べると
- まだ異性と肉体関係を持ったことがないこと。また、その人。ふつう男性に言う。
- カトリック教の尼僧。
という風にでてくる。現代日本でカトリック教の尼僧とかの意味で使ってる人なんてまずいないと思う。(むしろその意味で使ってる人いたら教えて欲しい)
つまり異性と肉体関係があるかどうかが今、主に使われてる意味である。
童貞は大体マイナスなイメージがついてくる。
そのマイナスイメージの具体的なことといえば
- かっこ悪い
- 女性との距離の取り方がわからない
- 女性に対して挙動不審
これは、いわゆる「童貞っぽい」を表す言葉で、
負の要素の「童貞っぽい」というワードが次第に「童貞」として使われ始めた。
でもこれだけを見ると童貞というの表面的な性行為ではなくて内から出てくる態度が見せている内面的な部分も大きく作用していると思う。
ここから言いたいのは、物理的童貞ではなく、精神的童貞のことである。
「童貞=思考の仕方」である。
だから自分に対する自信のなさや、失敗するのを恐れたり、無駄にプライドが高かったり、嘘が多かったり、知ったかぶりしたりなど結局、等身大の自分でいかないのは下半身的に卒業していたとしても思考は童貞のままなのだと僕は思う。
そんな童貞的思考を変えるためには
まず突っ込むこと、突っ込むというのは何かに対して自分をぶつけてみて知らない世界に足を踏み入れる勇気のことです。その場に踏みとどまったままではそれは童貞のままなんも変わらない、とりあえず突っ込んでみること突っ込んでみたら見えてくるものがきっとあるはず。
って自分で書きながら思うよだから俺童貞なんだわ(泣)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
以上、童貞が語る童貞論でした(笑)
それではまた明日🌙