部活を今になって考えてみた

どうもこんばんわ

 

山形超寒いです

 

今日なんて5枚重ね着してました(笑)

かなりデブって見えたね

 

 

さて今日は『部活』について書こうと思います

主に運動部のことについてです

 

なぜかって言われると

僕がずっと野球をやってきていたので、今になって『部活』とは?と考えてみました

メインに出てくるのは野球部です

 

一つ目の疑問いきなりぶつけたいのですが

なんで野球部って坊主じゃなきゃいけなかったんだ?

しってるひといたらおしえてください

 

 

このテーマで書こうと思ったきっかけは

響堂雪乃さんの「二ホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ」という本を久しぶりに開いてみたらちょうど第四章の学校で人間は機械になるの~部活で身体も思考も破壊される~というところを読んでみて部活に寄ってでた影響ってなんだといろいろと思い出してみたところから始まった

 

あ、あとこの「二ホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ」は確かに僕も含む若い世代は読んでみたほうがといいと思う

 

日本という国が何をしているのか

 

今の時代に起こっている脅威や、昔っから仕組まれていたこと、これから起こっていくであろうことが、1ページに簡潔にまとめてあってかなり読みやすい

読書が苦手だって人も、目次から気になる1ページをめくって読んでみるだけでも価値ががあると思うからおススメだ。

 

この本でいろいろと興味が出たなら、一緒に堤未果さんの「日本が売られる」も併読してみるとよりいいかもしれない

 

この二冊は読んだが「え!?まじか」ってなりました(笑)

 

それでは本題を書こうと思います

 

先ずはきっかけとなった1ページの引用から

 

筋肉や骨格を作るには運動(刺激)した後、最低48時間の休息が必要です。これを超回復と言います。だから連日部活などで身体を酷使することは全く逆効果なのです。学校が毎日部活するように求める理由は、放課後も君たちを学校に置いて拘束し、さらには文化(映画、本、音楽など異質な思考を持つきっかけとなるもの)との接触を絶ち、学校の運営に支障のない「管理しやすい群れ」に保つことにあるのです。このように公的な機関が個人のプライベートな領域にまで踏み込んで管理しようとする営みを「統制社会」と言います。

 

まず、最初に言いたいのはこの文の真ん中あたりにあるような文化の接触絶ちと言うのはあくまで学校側の狙いだってことだけだと思う

 

実際、映画も見るし、本も読んでいたし、音楽も聴いていた。

それすらできないのは伝統校の全寮制とかならあるかもしれないね

 

 

ただ今思うのは昔と比べて格段に接触していたものの質は落ちている

それは間違いない。

 

だからある意味狙いは成功していると思う。

 

 

少し上の文章に戻ると、確かに部活をやっていた時は毎日野球漬けだった記憶がある

一応月曜日が休みとはされていたが皆がグランドに集まって自主練していたし、大きい大会が終わって次の日が休日のオフだったとしても学校に行ってやっていたね

 

あの時は、休みだといわれてもなにしたらいいのかがわからなくて、結局グランドに足を運んでいた。

3年になって引退するまで常に野球部のメンバーと一緒にいた

部活の時はもちろんだが、休みの日や学校の昼休の時なんかも

 

そんな生活してたから彼女ができなかったんだろうな~クソッ

 

その時は野球部という謎の結束があった

 

 

最後にここだよなーって思った一文が

「管理しやすい群れ」というところだ

 

様々な部活動がある中で野球部は「管理しやすい群れ」を作りやすい場所

 

かなり悪い感じに言うならば社会に出たときに都合のいい家畜の養成所だ

 

  • 礼儀正しくは当たり前
  • 上下関係をしっかりとして
  • 厳しい事でも耐えること学んでいて、やり切ってしまう
  • 一つの目標の為に高校生活のほとんどを費やす

 

まず一つ目は、社会に出た場合は大切なものだと思うからまあいいとする

 

けど、問題はその下の項からな気がする

上下関係をしっかりと言うのは、悪くいってしまえば「上は絶対!!」

先輩のいる階は横断するな!

先輩には絶対挨拶!

先輩より早くグランドへ!

飯は先輩が先で後輩は後だが早く食え!などなど言い出したらきりがない

こうなると先輩は練習開始の時間に間に合えばいいし、雑用自体はほとんど手伝わなくなる

 

 

監督や先輩方を敬えということを刷り込まされている

僕が入っていた高校なんかはそこのところが緩くて厳しくはなかったが、強豪校の話なんかを聞くと凄まじい話ばかりだ。

まあ、いくら緩いといっても基本的に後輩は雑用はするし、いくら才能がありたくさん活躍していたとしても、スタートは一緒だ。

 

僕らの中であったのが監督は「神」3年は「貴族」2年は「平民」1年は「奴隷」

というおかしなピラミッド構造があったりした(笑)

 

そういう状況から何をするにしても下済みは必要だ、と思ってしまうのかもしれない

いきなり飛び出して何かをやるということに躊躇してしまう

 

今の上下関係はあまりいい感じではないなよな~

先輩は横柄になるばっかだし、後輩は先輩をここからは尊敬していない

 

仮に逆だった場合はどうだろう、先輩が率先して動いているという状況

そんな上下だったとしたもっといい関係になるのではと思う

 

 

それでは次に思うところがあるのは

 

厳しい事でも耐える

 

ということだ。

 

野球をやっていると全部がやりたいことばかりではない

そりゃ打撃練習や試合をやっているときは楽しいが基礎トレーニングの走り込みや筋トレいがは特別楽しいわけではない、むしろしんどいほうだ

 

個人的な意見だとどっちつかずなのが守備の練習

楽しいときは楽しいし、ただただきついと気もある

 

いくらきつくても「耐える」ということや「逃げてはだめ」を学んでしまう

 

忍耐を押し付けられ根性を強制されると、大人になった時も「耐えなきゃいけない」「逃げちゃいけない」と自分で逃げ道をふさいでしまうんじゃないだろうか。

 

でも何をやるにしても「やりたいこと」という枠組みを決めて正当化してしまう

だから「うまくなるために」という大義名分のもと、ほぼ毎日の時間をそこに費やしている

 

 

 

 

自分の他に興味があることに時間を費やす、というものはない

ひたすら一つのことをやり続け、それしか考えられないようになっていく。

 

そうなるといざ部活が終わってしまったときに「燃え尽き症候群」になりやすいんじゃないかな

 

僕も最後の夏の大会が終わってしまった後、何かを埋めるように引っ越しのバイトを入れまくった

疲れて動きたくならないようにして、なんも考えないよう

 

そしたら自分の時間なのに何をしたらいいのかわからなくなっていた

 

もしその状態で普通の会社に就職していたらどうなっていただろう

自分の時間を仕事のために費やしているのかもしれない

 

 

 

ここまで書いたが、別に部活自体を否定したいわけではない。

 

僕も野球をやってきたことは後悔していない
そこから学んだものだってたくさんあったはずだ

それに部活といっても活動頻度や濃度はそれぞれ異なっている

 

ただ根本的な部分にもしかしたこんな可能性があるんじゃないかって思って書いてみた一意見でした

 

 

それではおやすみなさい