直線を嫌い、曲線を愛した建築家フンデルト・ヴァッサー
Facebookでこの画像を観ていた
すごくね
合成とかじゃなくてマジである建物らしい
ぜひ機会があったら行ってみたい
場所はポーランドだ
それでこの建築ってどうなってんだ?と思いいろいろと調べていたら
この建築とは全く関係ないが一人の建築家の人物に行き当たった
名はフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー
1928年12月15日にウィーンで生まれ、20歳のときウィーン美術アカデミーで本格的に絵を学びに行ったが学校には3ヶ月ほど留まっただけ。21歳のとき、フンデルト(100の意味)ヴァッサー(水の意味)と名乗るようになります。
彼の絵にはカラフルな赤や黄色、緑、青が多用されていた。
どこまでも続く線や螺旋渦巻きが登場し、その曲線で家が描かれていきます。家の上には木が植えられ、水が流れ、雨が降り・・・、その主題は家と木と水に集約されていきました。彼の作品には、家と人と自然の共存という哲学がこめられています。
「住居は住む人それぞれにとっても最も居心地のよいものでなくてはいけない」
これはフンデルトヴァッサーがマグデブルグという建物を建てようとしたときのコンセプトだ。
確かにその通りだ
家に戻って居心地悪かったら滅入るわな
一人一人の性格が違うように、家にだってそれがあっていいはずだ
だからこそヨーロッパを巡ってってみたいなんても思っている(笑)
だが今のハウスメーカーというか日本の建物は似通ったものばかりだ、「あらえびす」にきてから全国各地に行くことが増えたが、どこの地域の家も大体一緒の建築物(田舎のほうとかに行けばその地域性が感じられたけどね)
家の中までは知らないが、景色を見ていても楽しさがない
山河を見る分には楽しかったけどね
でも、西に行けば行くほど針葉樹ばかりで山に表情がなく感じられる
あ、、、このままでは山の話のほうに行きそうなので話を戻そう
自然を愛していたヴァッサーは直線の存在を拒否し、自然と芸術の融合を試みた
その建築物の代表がこれ
かわいいっすよね
ヴァッサーは「建築とはこうあるべきだ」という常識を全く無視した
いままで直線ばかりの建築物に対して、カラフルな色彩、どこまでも続く曲線、自然との共生を目指したものを建てた
本来人間も自然と共生していたはずなのに
いつの間にか分断されてしまった。「そこを戻そうよ」って思ったのだと思う
凝り固まってしまった「こうあるべきだ」という考えから「建築も変化し成長して行く事」を願ったという。建物から生える植物がどんどん生長するように、建築とそこに住む人間も有機物であり、どんどん変わっていけば良い。住民たちは部屋を自由につくり変えてよいし、子供が廊下で落書きをするのも歓迎だそうだ。
彼の創る建物には多くの芸術家が住んでいるらしい、そして部屋の中には壁の一面が真っ白、そこは自由に描いてくれと言っている
自分の芸術を押し付けるだけではなく、住む人によって完成する
素敵な人だ
最後に
一人がたった一人で夢を見ても、それはただの夢でしかない。
みんなが一緒に夢を見れば、それは新しい現実の始まりになる
フンデルト・ヴァッサー
ここまで読んでくれてありがとう
それではまた明日
「日本が売られる」あとがきを読んで
かなり時間がかかったが堤未果さんの「日本が売られる」がやっと読み終わった
とにかく日本は今ヤバい状態にいる
最近では東京オリンピックに続いて大阪万博もやるとか言っているし
「今だけ金だけ自分だけ」というのが目に見えてわかる
開催することにちゃんとした戦略があるならいいが
大変なことになるということはバカな俺でもわかる
もしかしたらと思いたいがやめとくことにする
今日は最後の「あとがき」の部分を少し取り上げたいと思う。
では
「公共サービスを民間に売り渡すということは、結局高くつくだけじゃなかった。一番の損失は、私たち一人ひとりが自分の頭でどういう社会にしたいのかを考えて、そのプロセスに参加するチャンスを失うことの方でした」
スペインのテレッサ市の市議会議員に加わったという31歳のシルビア・マルティネスは私に言った。
「国民はいつの間にか、何もかも〈経済〉という物差しでしか判断しなくなっていた。だから与えられるサービスに文句だけを言う〈消費者〉に成り下がって、自分たちの住む社会に責任をもって関わるべき〈市民〉であるということを忘れてしまっていたのです。
確かになー
今の経済にすっかり洗脳されていたのだと今なら思える
商品たいして不満を持ったことはあるが根本的なところのシステムについて疑問を持ったことがなかった
というか持たされないように誘導されていたように感じる
社会に対する「これななんでなんだろう?」と思い探求するという意欲が削がれていっている
(自分も含めて周りの人がそうだった)
堤さんが言っているように自分の頭で考え、こういう社会にしていきたいというのがあまりにないのでは(勝手な推測だが)
戦時中や戦後ならまだ日本の市民全体に掲げる明確な目標があったはずだ
それがあったからこそあれだけ自経済が発展していったのだと思う
ただ、現代の日本には目指す旗がない。
目指すものがないっていういい方も変なのかもしれない、やろうとしている人は行動しているし、個人個人目指しているものがあると思う
でも全体の一致感がない
てんでばらばらだ
何かあっても国が何とかしてくれるだろうという「平和ボケ」が自分たちの首を絞めてしまっている
もしかしたら首を絞めていることさえ気づいていないのかもしれない
そんな「平和ボケ」している中でも今の社会に対して疑問を抱いている人はたくさんいる
そんな思いを持ちながらも今の生活から抜け出せないでいる
「今の経済に頼らないで自分たちでやっちゃおうぜ」って集団
それが「あらえびす」だ
もし疑問がある人だったら
求めているものはここにある
ぜひ一度覗いてみてほしい
どんな世界が一番理想か
根っこはみんな一緒だと思う
最後に堤さんの言葉で締めさせてもらいます
何が起こっているか知った、目に映る世界は色を変え、そこから変化が始まってゆく。水道や土、海や農村、医療や教育、福祉や食の安全・・・・あるのが当たり前だと思っていた値段が付けられて打たことに知った時、私たちは「公共」や「自然」の価値に改めて目をやり、そこで多くのものに向き合わされる。他者の痛みや、人間以外の生命、子供たちがこの先住む社会が、今を生きる大人たちの手の中にあることについて。
私たちの一瞬一瞬の選択が、未来へのギアを入れ直すのだ。
それでは今日はこれで
また明日
将棋の楽しさ
小さいときにお爺ちゃんの家に将棋があったので
そこで挟み将棋や将棋崩しをやったのがきっかけで
自然と将棋の駒の動かし方を覚えていった
小学校の時は不純な動機だったが将棋クラブに入っていた
(不純ていうのは、クラブ自体が適当だったから喋っていてもいいし、帰ってもいいという最高の条件だったから)
だから動かし方は知っているが戦略もクソもなかった
山形に来てから将棋をまたやるきかいがあったのでやり始めたが、これがけっこう面白い、
小さいときやっていた時とは全く違う
指し方から今の自分が観えてくる
一手一手が今の自分を表してくる
目先の駒に飛びついてしまい自分を不利な方向にどんどん持ってきてしまうとか対戦している相手がどう指してくるんだろうという思考がおろそかになっていたり、もう負けるってわかっている状況なのに意地で続けてしまう自分とか
まだまだ出てくる
だから将棋を指すのは楽しい
今の自分の思考が客観的に盤面に出るから
ただもっと楽しむためにも強くならなきゃな
今日はこれだけ
それではおやすみなさい
SNS内の輩
小学校の時はSNSなんてものまともに知らなかったし、一人一人の家の電話番号を覚えていた。それから比べると一度番号を聞いて登録してしまえばいいし、メールよりも簡単にメッセージを送る手段もある、離れた人が何をし何を思っているのかもSNS上で繋がってしまえば常に見ることができる
とても便利になった
SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)とは、インターネット上で実際に会わずとも、社会的なつながりを作ることの出来るサービスの事
日本中、世界中と繋がれるというのはすごく大きい
SNSによって、さまざまな分野の幅がかなり広がったと思う
現代では、スマートフォンやインターネットの爆発的な普及によって、若い世代はもちろんの事、年配の方も聞いたことのない人は少ないという世の中になってきた
僕が中学に上がったころにはほどんどのひとがSNSを利用してたんじゃないかな
高校の時もみんな当たり前になってたし
でも、常にスマホ気にしてたりなんかあったらすぐ写真撮って投稿してたりって疲れないんかなーなんて思ったりもしていた
一番そういうことで記憶にあるのは、地元であった大きな花火大会の時
一緒に言ったツレの一人がSNS映えする写真の為に、花火が上がるたびにずっとスマホのカメラとにらめっこ
「せっかくの花火なんだから、もっと楽しみながら見ようよ」ってその時感じた
まあそれもその人自身が好きでやっているならどうこういうのもおかしな話だ
でもさ(僕だけかもしれないが)たくさん写真撮ってもそんな見直さなくね?
SNSにその時の写真や、思いを投稿するのは別にいいと思う
むしろそこから新しく広がる人間関係もあるはずだ。
ただ悪い方向に作用しているものもあると思う
いろいろなサイトにコメントや意見、レビューを書き込むことが可能だが、なかには、辛らつな言葉や誹謗中傷すれすれの書き込みを目にした足りする
現実で吐き出せない自分の中に溜まった鬱憤を、匿名の場を利用して誰かに矛先を向けるっていうのはいかがなものかと思う
そこがSNS内の匿名の怖さだな
ある意味匿名ってのは透明人間みたいなものだと思ってる
自分は見えているが、相手からは全く見えない
小っちゃいときとかに想像したことはなかっただろうか「もし透明人間になれたら」「なったら何をするか?」なんてことを
もしなったとしたら今まで通りの普通な生活はしないはず、普段できないちょっと悪いことを想像してたりしたんじゃないかな
それをSNSを通してやってたりする
実際、ネット上の掲示板とかで本名を名乗る人はそういないはず
匿名での悪口以外でも自己顕示欲が強い人だったり、自分の正論を相手に押し付けようとして来たり、SNSでは強気な人が多いと感じるな
あーあと「悪を成敗しなければ」というのも目にするかな
これは群集心理というものらしい。今さっき調べてみて知った
自分の中でちょっと抱えていた不満や意見を、多くの人と共有することによって、巨大な力になっていく。
その発言には匿名の利点で特に責任が課せられることはなく、一体感が味わえる。自分の不満が多くの人に支持されたら、快楽にさえ思えるかもしれない。倫理に反する行為があるとしたら、大義名分もあり、堂々と「それは悪だ!!」と言えるのかもね
SNSも使う人が使えば、素晴らしいものになるが
使い方を間違えれば一番タチの悪い刃物と化す
どんなものでも使い方次第だ
どうせ使うなら自分をいい方向にもっていく使い方をしたい
ここまで読んでくれてありがとう
それではまた明日
色彩=個性
いやー冷える
今までは朝晩厳しかったけど、日中もどんどん冷え込んできた
4時頃には日が暮れ始めるから、満足に外作業も出来ない
地元のおっちゃんに「夏の間は日が暮れるまで時間いっぱいやっとけよ」と言われていたのが、今になって身に染みてわかってきた。
本当に日が長かった時がどれだけ素晴らしかったか、、、
そろそろ雪が降るそうだ
朝方、路面も凍り始めたし、霜もたった
月山、朝日連峰の上もだいぶ積もってきた
そして雪マークがついについた!!
僕は山形に来て2度目の冬を迎えようとしている
雪が降れば除雪、屋根の雪下ろし、その他いろいろと外の作業も制限されてくるが
それでもとても雪が待ち遠しい
雪国の人はどう思っているのか知らないが、僕は雪のある冬が四季の中で一番好きかもしれない。
春夏秋と季節ごとに楽しめるものがあるが、どうも物足りない感じがする
こう思えたのも山形に来てからだった
同じ冬でも地元静岡の冬はあまり好きになれない
だってただ寒いだけなんだもん
やっぱ雪が恋しい
まあほかの理由としては地獄の冬トレを思い出してしまうってのもあるかもしれないけどね(笑)
というわけでそろそろ山形も初雪きまーす
さて
最近は内田樹の「街場の読書論」を読んでいたが、ちょっと前にふと目に留まり読み始めた本が一冊あるそれは村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」というものだ。
少し前に、話題になった本だったから知っている人も多いと思う
~あらすじ~
多崎つくるは鉄道会社でエンジニアとして働きながら東京で暮らしています。
子どもの頃から「駅」に魅せられ、「駅」を作る仕事に憧れていた彼にとって、鉄道会社で働けていることは夢が叶ったと言って良いでしょう。
お気に入りの駅はJR新宿駅で、特に用事もないのに新宿駅を訪れてホームに行き交う人々や電車を眺めることさえあります。
36歳で独身。これまでに数人の女性と恋愛をしてきましたが、自分をさらけだせるような信頼関係を築いた経験は1度もありません。
つくるには、心を許し合える恋人どころか、気の合う友達さえ1人もいないのです。
彼がそこまで人間関係に慎重になる背景には、過去の苦い経験がありました。
多崎つくるは大学進学のために上京するまで、地元の名古屋で暮らしていました。
高校時代は男女5人の友人グループを作り、お互いを信頼できる仲間として意識していましたが、つくるだけが進学で上京することになったのです。
上京をしても、まとまった休みがあれば名古屋に帰り、グループの仲間に会いに行っていたつくる。彼にとって、4人はかけがえのない大切な存在でした。
しかし、ある日突然、そのグループから決別を言い渡されます。
「もうこれ以上誰の所にも電話をかけてきてもらいたくないんだ」
突然の宣告に彼は深く傷付きますが、なぜ自分が拒絶されたのかを確かめられないまま、年月だけが過ぎていきます。
結局、名古屋のグループとはそのまま別れてしまい、つくるは、「自分がどうして彼らから拒否されなくてはいけなかったのか」という疑問を持ち続けたまま大人になり、いつしか他人に心を開けなくなってしまったのでした。
それでも、心の傷を隠して自分なりの人生を全うしてきたつくるでしたが、ある女性と出会ったことで、止まったままの時計がようやく動き始めるのです。
彼女の助言に従い、名古屋のグループ1人1人に事情を聞きに行くことになった多崎つくる。そこで明かされる真実は、彼に大きな衝撃を与えることになります。
まだ途中までしか読んではいませんが
題にも書いて得る色彩とはなにか
登場する多崎つくるの友達だった4人にはそれぞれ名前に色がはいいています
赤松慶(あかまつ けい)
青海悦夫(おうみ よしお)
白根柚木(しらね ゆずき)
黒埜恵里(くろの えり)
そしてそれを意識して、アカ、アオ、シロ、クロと呼び合います
名古屋の仲良しグループの中で多崎つくるだけが名前に色が入っていないわけです。
でも、そんなの別にどうだっていいじゃないかと思いますよね。ところが、つくる自身、これについて仲間はずれのような意識を持っているのです。
ただこの気持ちもわからんでもない気がします
やはり学生の時、仲のいいメンバー内に共通する何かを求めている
この色彩はキャラ一人一人の個性を表しているのかな
そして名前に色彩を持たない多崎つくるは「無色透明」=個性がない
ただこんな単純な意味でつけるほど村上春樹さんは考えなしではないと思う
もっと深い意味があるはずだ
この本はまだ中までしか知らないが、一つは多崎つくる自身の過去をひも解くために旅をするという物語なのかななんて思っている
物語の主人公である多崎作の人生の一部を綴ったものだ
では人生にとっての「色彩」とは何か?
どれだけ豊かにしているか、ってことと思う
豊かにするっていっても自分にとって都合のいい事ばかりだったかってわけでもないはず、いろいろな大変なことや、悩むことがあったとしても、結果それがこれから生きていくうえで自分の血肉となり、自分自身を豊かにしていってくれたか
そうなっていくと色彩のあるものになっていくと思っている
だからこそ色彩がない人なんて、いないと思う
ただ自分で気が付いていないだけ、客観的にみるとたくさん物をもっている
読みながら多崎つくると自分を重ねていた
まず最初に仲のいい5人ってところで「おっ」よなったね
男女が3:2
この状態は中学の時に経験したことがある
クラス替えの時にたまたま席が近かった5人だったがそのまま仲の良いグループになりよく一緒に行動を共にしていた
ただこの本とは違うのは僕以外でカップルが成立したということだ!!
それも2組
なんでだよ!!!
なんで俺には彼女ができないんだ!
あんまりいい思い出ではないね
よし、切り替えよう
すこしつまらない昔話をしてしまいましたね
それでは今日はこの辺で
また明日~
K(危険)Y(予知)ではないほうのKYな話
僕が小学生だったころだろうか
KY(空気が読めない)という言葉が流行りだしたのは
今ではあまり多用されることはなくなってきたがそれでもその思想は根深く残っていると思う。
なぜKYが出てきたかっていうと、今日来ているお客さんと話しているときにKYの話があったから、ただそれだけ
で、「今日何書こうかなー」なんて思っていた矢先に舞い込んできた話だったので今日はこの話題で話を進めさせてもらう
実際に「空気が読めない人」は身近にもいると思う
変なタイミングで話し出す人とか、周りが全然見えてなかったりとか
でも僕らが使っていたKYは確かに上記の通りの意味も含まれるが、
本質的には自分たち仲間内からの「排除」の表現でもあった
「排除」の表現に対するレッテルであった
KYな行動によって出過ぎた釘は、たとえ今まで仲間だった人からでも打たれる
そうなることの恐怖から、学生はみなある一定のラインから踏み出ないように無意識的に自分に圧力をかける。
そこには変なルールがあった
勉強や運動能力で抜きんでていても何も言われない、むしろ学校生活内ではいい方向に作用するが、それ以外の分野(例えば趣味)がほかの人とは一線を画す場合は「排除」の対象だ
自分のテリトリー内に異分子が入ることを過剰に嫌う傾向にある
だからその存在を「空気が読めない」という無茶苦茶な理由をつけて追い出そうとする
例えばこんな感じ
A「俺らが決めた秩序を守ってくれてるやつは本当に空気が読めてるよ、だからこれからも仲良くやっていこうぜ。でもその輪を乱す奴って空気読めないよな」
B「そういえばあの奥の席の奴、暗いしノリも悪いから空気読めないよな」
C「なら排除するか」
D、E、F、J、H、I「OK」
ってな具合だ
とりあえず理由付けとしてKYが用いられる
KYという大義名分ができたところで次は「排除」だ
「排除」されないためには仲間が必要
時には自分を擁護してくれ、時には盾となり身代わりとなってくれる存在
そういう思考の流れから一人では生きられない、つねに友達といないと、、、
「仲間意識」というのが変な感じになってきている気がする
これは今の教育が作り上げてしまったものだ
平均的な生徒を量産して、一人では生きられないように仕向ける
先輩の言葉を借りると「平和ボケしてんだよ!」
まさにその通り
鋭いご指摘ありがとうございます
想像してみよう、もしこれが戦時中だったら、明日生きてるかもわからない状態だったらそんなこと言ってられないよね。
たしかにのほほんとしすぎている気がする
特に地元の静岡
(静岡の人見てたらごめんなさい)
それでは今日はここで
おやすみなさい
ちょっと野球時代を思い出してみた
僕はずっと野球をやっていましたが
たまに視えるんです時があります
別に霊とかってわけではないですよ(笑)
絶好のチャンスで自分の打席が回ってくる、打てば逆転とかそういう場面
ランナーが得点圏にいるときなんかによく起こった
打席でいつも通りのルーティーンをやっている時なんかに
自分でも本当に不思議な現象だったのですが
映像が見えてくるんですよ
理想な力の抜けたスイングをして、ボールの芯をとらえ、きれいに外野に運んだ打球を打ち、走り抜けベース上でガッツポーズをしている自分が
本当にくっきりと、まるで未来を先取りしたかのように見えるのがたまに起こったりしていました。
でもそういうときに限って打てないんですよね(笑)
それが見えた時の打率は1割も満たなかったと思う
本当にスランプでどうしようもなかった状態とは違って、かなりベストな状態で打席には立てていた
変な力みもなく、故障している個所もない、コンディション的には最高
(すこし欲があったときもあったけど)
それでも、そういう映像が見えたときはどう頑張っても打てない
当時は開き直るしかなかったですね
その現象が来たときはある意味あきらめがあったのかもしれません
でも今ならなんとなくですが理由がわかります
僕が観ていた視点は1人称ではなく、3人称の視点だったということ!!
ゲームでいうならFPS(ファースト・パーソン・シューター)というシューティングゲームによく用いられる一人称視点のはずがドラクエ的な3人称の視点になっていた
観ていたものは自分が打っている姿をベンチもしくは次のバッターからの視点で
打席に立っている自分を見ているわけではなく、客観的に見ていた
そりゃ打てないわな
だって観ているものが他者の視点なんだから
自分を見ているわけではない
成功している別の人物を見ているということになる
これにもうちょっと早く気が付けていたら、打率ももうちょっと上がってかな(笑)
まあ、何が言いたいかっていうと、
もし今夢やなりたいものがあったときに、見ているものに自分の姿が映っていたらそれは違うということだ。
本当に視えていたとしたら、それはそこから見える風景が見えていると思う。
視点によって物語は違ってくる。
だとした自分の都合のように視点をいじったほうがよくないか?なんて思ったりする
ここまで読んでくれてありがとう
それではまた