ちょっと野球時代を思い出してみた

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僕はずっと野球をやっていましたが

たまに視えるんです時があります

 

別に霊とかってわけではないですよ(笑)

 

絶好のチャンスで自分の打席が回ってくる、打てば逆転とかそういう場面

ランナーが得点圏にいるときなんかによく起こった

 

打席でいつも通りのルーティーンをやっている時なんかに

 

自分でも本当に不思議な現象だったのですが

映像が見えてくるんですよ

 

理想な力の抜けたスイングをして、ボールの芯をとらえ、きれいに外野に運んだ打球を打ち、走り抜けベース上でガッツポーズをしている自分が

本当にくっきりと、まるで未来を先取りしたかのように見えるのがたまに起こったりしていました。

 

でもそういうときに限って打てないんですよね(笑)

それが見えた時の打率は1割も満たなかったと思う

 

本当にスランプでどうしようもなかった状態とは違って、かなりベストな状態で打席には立てていた

変な力みもなく、故障している個所もない、コンディション的には最高

(すこし欲があったときもあったけど)

それでも、そういう映像が見えたときはどう頑張っても打てない

 

当時は開き直るしかなかったですね

その現象が来たときはある意味あきらめがあったのかもしれません

 

でも今ならなんとなくですが理由がわかります

 

僕が観ていた視点は1人称ではなく、3人称の視点だったということ!!

 

ゲームでいうならFPS(ファースト・パーソン・シューター)というシューティングゲームによく用いられる一人称視点のはずがドラクエ的な3人称の視点になっていた

 

観ていたものは自分が打っている姿をベンチもしくは次のバッターからの視点で

打席に立っている自分を見ているわけではなく、客観的に見ていた

 

そりゃ打てないわな

 

だって観ているものが他者の視点なんだから

 

自分を見ているわけではない

 

成功している別の人物を見ているということになる

 

これにもうちょっと早く気が付けていたら、打率ももうちょっと上がってかな(笑)

 

まあ、何が言いたいかっていうと、

もし今夢やなりたいものがあったときに、見ているものに自分の姿が映っていたらそれは違うということだ。

 

本当に視えていたとしたら、それはそこから見える風景が見えていると思う。

 

視点によって物語は違ってくる。

 

だとした自分の都合のように視点をいじったほうがよくないか?なんて思ったりする

 

 

ここまで読んでくれてありがとう

 

 

それではまた