SNS内の輩

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小学校の時はSNSなんてものまともに知らなかったし、一人一人の家の電話番号を覚えていた。それから比べると一度番号を聞いて登録してしまえばいいし、メールよりも簡単にメッセージを送る手段もある、離れた人が何をし何を思っているのかもSNS上で繋がってしまえば常に見ることができる

とても便利になった

 

 

 

SNSソーシャルネットワーキングサービス)とは、インターネット上で実際に会わずとも、社会的なつながりを作ることの出来るサービスの事

 

日本中、世界中と繋がれるというのはすごく大きい

SNSによって、さまざまな分野の幅がかなり広がったと思う


現代では、スマートフォンやインターネットの爆発的な普及によって、若い世代はもちろんの事、年配の方も聞いたことのない人は少ないという世の中になってきた

 

僕が中学に上がったころにはほどんどのひとがSNSを利用してたんじゃないかな

高校の時もみんな当たり前になってたし

 

でも、常にスマホ気にしてたりなんかあったらすぐ写真撮って投稿してたりって疲れないんかなーなんて思ったりもしていた

一番そういうことで記憶にあるのは、地元であった大きな花火大会の時

一緒に言ったツレの一人がSNS映えする写真の為に、花火が上がるたびにずっとスマホのカメラとにらめっこ

「せっかくの花火なんだから、もっと楽しみながら見ようよ」ってその時感じた

 

スマホというかSNSに縛られてしまっているように思う

 

まあそれもその人自身が好きでやっているならどうこういうのもおかしな話だ

 

でもさ(僕だけかもしれないが)たくさん写真撮ってもそんな見直さなくね?

 

SNSにその時の写真や、思いを投稿するのは別にいいと思う

むしろそこから新しく広がる人間関係もあるはずだ。

 

ただ悪い方向に作用しているものもあると思う

 

いろいろなサイトにコメントや意見、レビューを書き込むことが可能だが、なかには、辛らつな言葉や誹謗中傷すれすれの書き込みを目にした足りする

現実で吐き出せない自分の中に溜まった鬱憤を、匿名の場を利用して誰かに矛先を向けるっていうのはいかがなものかと思う

 

そこがSNS内の匿名の怖さだな

 

ある意味匿名ってのは透明人間みたいなものだと思ってる

自分は見えているが、相手からは全く見えない

小っちゃいときとかに想像したことはなかっただろうか「もし透明人間になれたら」「なったら何をするか?」なんてことを

もしなったとしたら今まで通りの普通な生活はしないはず、普段できないちょっと悪いことを想像してたりしたんじゃないかな

 

それをSNSを通してやってたりする

 

実際、ネット上の掲示板とかで本名を名乗る人はそういないはず

 

匿名での悪口以外でも自己顕示欲が強い人だったり、自分の正論を相手に押し付けようとして来たり、SNSでは強気な人が多いと感じるな

 

あーあと「悪を成敗しなければ」というのも目にするかな

これは群集心理というものらしい。今さっき調べてみて知った

自分の中でちょっと抱えていた不満や意見を、多くの人と共有することによって、巨大な力になっていく。

その発言には匿名の利点で特に責任が課せられることはなく、一体感が味わえる。自分の不満が多くの人に支持されたら、快楽にさえ思えるかもしれない。倫理に反する行為があるとしたら、大義名分もあり、堂々と「それは悪だ!!」と言えるのかもね

 

SNSも使う人が使えば、素晴らしいものになるが

使い方を間違えれば一番タチの悪い刃物と化す

 

どんなものでも使い方次第だ

 

どうせ使うなら自分をいい方向にもっていく使い方をしたい

 

 

ここまで読んでくれてありがとう

 

それではまた明日