■
「将来の夢は何ですか?」
誰しもが一度は聞かれたことのある質問だと思う
高校3年生、野球最後の夏の大会に向けて、学校全体に3年メンバーの紹介を各項目の中にこの質問があった。
自分がなんて書いたのか忘れてしまったが
チームメイトが書いたことがすごい印象的だったのでよく覚えている。
「家を買いたい」
そう書いた奴らが何にもいた
何か理由があるのかと思い聞いてみると
「なんとなく」
「特に書くことがなかったから」
って口々に言っていた。
本当にそれでいいのだろうか?
就職先だって「金払いがいいところ」「残業が少なそうなところ」「ボーナスが多いところ」
その就職先を選ぶということが悪いといいたいわけではない
その稼いだ金で自分のやりたいことに繋げるなら、むしろいいんじゃないかな
でもそんな風には感じなかった
良い所就いて、車買って、結婚して、家買って、
少し前だったらそれでよかったのかもしれない
ただ今の時代で当てはめるとちょっと違うのかななんて思う
昨日までいたお客さんが言っていた、自分がやりたいことをやっている人は疲れが三分の一で、嫌々やっている人は疲れが20倍の負荷がかかる
数値で分かりやすく話してくれたが
それだけ違いが出るってことだ
どの会社の社長も自分の中で「こうしていきたい」って理念のもとに会社を立ち上げたはずだ
その思いを嫌々やっている人に押し付けたって上手くいくはずもない
3×20で60倍負荷が嫌々やっている人に降りかかる
そしてその負荷に、耐えられるような今の若者たちではない
その結果会社をすぐ辞めてしまう人、鬱になる人や、自殺する人が増えていっている原因の一つだって言っていた。
そんな話を聞きながらよくよく考えると学生の時だって、「自分がこれをやてみたい」を見つけさせてくれる場ではなかった
大人たちが作った「平均的な子供」という、ひどく極端で狭い枠組みに押し込もうとしているように感じる
そしてそんな大人たちを見ながら、どこか冷めているというか、諦めているというか、どっちにしろいい方向には作用していない
冷めていたとしてもどこか自分の中で熱が入るものだってあるはずだ
だから、まず自分は何が得意なのかを見けるべきだ
そのためには、きっといろんなところにいったり、いろんな人に出会わなきゃいけない。
身の回りにいる人だけじゃ、それが見つからないかもしれない。もっとたくさんの人に出会える機会を、自らつくり出していくことが必要だと思う。
これから毎日、街ですれ違う人たちと全員友達になるくらいの勢いでやんないと。その中に、大親友になれる人がいるかもしれない
それではまた明日