忖度とは

今読んでいる読書本内田樹の「街場の憂国論」に出てきた

 

「忖度する人」のことを少しだが書こうと思う

 

忖度(そんたく)  ●他人の気持ちを推し量ること

          ●相手が何を求めているかを考える

 

例えば

 「会社の意向を忖度する」

 「メディア忖度する政治家」  

 

 

「忖度」という言葉自体は何も悪いことではないはずだ

「相手のことを思って行動する」ということや「相手が心に留めている本音を察すること」という意味だと思う。

 

 

いまではこの「忖度」という言葉が悪い方向に化けていると感じる

 

 

 

「こんなことをしたら相手が喜ぶんじゃないか」とやっているうちに

いつの間にか自分自身に首尾一貫性が無くなってくる。

味噌もクソも一緒にした「忖度」は全くと言ってほど相手のためを思っていない、相手を通して自分自身の欲望を語ってしまっている。

 

というのも出てくる「相手」というのは一人ひとりの頭の中に作った幻想だ

自分は他人にはなれないし、他人も自分にはなれないから

 

 

日本人はあまり本音を口に出さず「建前」で話をしたりする。

その外の表面的な言葉や行動をよくやってしまう、自分がやっているということは意外とわからないものだが、人のことなら良く見えているはずだ。

 

「おかしいな」と思ってもその人が、年上だったり、上司だったりで相手に合わせて黙って従うことが忖度するということではない

 

この「忖度」するということを多くの人がはき違えてると思う。

 

今の政治家のように「上役の意向を推し量る」、「おべっか、へつらいをして、上のものに気に入られようとして、その意向を推測する」という特殊な意味で認識してしまう

 

友達や親の気持ちを「忖度」するとは、言いませんよね。
逆に、「バカにしてるの?」と怒られる気がする(笑)

 

同じ意味でも「使われる立場の違い」と「動機の違い」で「忖度」なのか「思いやり」なのかで変化していく

 

 

「忖度」ばかりの世界より「思いやり」に溢れてるある世界のほうがいいですよね

 

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとう

 

それではまた明日