昔読んだ本だったけど意外と覚えいるもんだ

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昔っからほとんど本を読んでいなかった僕だが

1冊だけ何度も繰り返し読み返していた本があった

(ただ単にほかに本を買っていなかったていうのもあるけど)

 

伊坂幸太郎の「マリアビートル」だった。

 

登場人物である中学生が、塾の講師に対して


「どうして人を殺してはいけないのか?」

 

さいころ「なんでだろう」って思った人もいると思う

 

その問いに対するこの本の答えは

 

 たとえば、自分は明日、誰かに殺されるかもしれない、となったら、人間は経済活動に従事できない。そもそも、所有権を保護しなくては経済は成り立たないんだ。そうだろう?自分で買ったものが自分の物と保証されないんだったら、誰もお金を使わない。そもそも、お金だって、自分の物とは言えなくなってしまう。そして、『命』は自分の所有しているもっとも重要なものだ。そう考えれば、まずは、命を保護しなくては、少なくとも命を保護するふりをしなくては、経済活動が止まってしまうんだ。だからね、国家が禁止事項を作ったんだよ。殺人禁止のルールは、その一つだ。重要なものの一つ。そう考えれば、戦争と死刑が許される理由も簡単だ。それは国家の都合で、行われるものだからだよ。問題なし、と認めたものだけが許される。そこに倫理は関係ない。          

 

学校では人間の命が最も尊いと教えられてきた、もちろん親からも教えられた。

 

一つしかない命は最も重要だと。

超えてはならない一線だと、、、

 

だから基本的に事物の価値を判断する時、「人命が最重要」が前提となってしまうので、いくら考えても「戦時の殺人はOKで、平時の殺人はNG」ということがわからない。

 

でも

 

「命は最重要ではない。実は命よりも大切なものがある」場合はどうする?

 

その命よりも大切なもののために、時と場合により殺人が許されたり、許されなかったりしても不思議ではありません。

それが、第二次世界大戦の時の日本がそうだったと思う

 

この本は人命より大切なもの=国家であると言っていた

 

学校で「命が最重要」と教えるのは、その方が国家にとって都合がいいからだと思う

 

国によって定められたあらゆるルールも然りだ。


ただし、勘違いをしてはいけない部分は、国家が人命より重要なものだとしても、人命の尊さが損なわれるわけではないということだ。

 

一番が二番になっただけで、かけがえのないものであり、決して粗末にしてはならないものである事実は、全く動かない


人間という種の保存を目的とした時に、人間が考案した、現時点で最も有効なシステムは国家だ

 

ただ今の世界は、国家の上に資本家たちが立っている。

 

そして、その人命も一部の外資の人達のの金儲けの為に蔑ろにさせられている。

 

それが今のこの国に起ころうとしている、水道民営化やTPPの問題、放射線物質の受け入れなどなどたくさんある

 

それが目の前までに迫ってきているのに、今の日本人大丈夫ですか!?

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとう

 

それではまた明日