ブログとは、、、

f:id:ideal6412:20181115203751j:plain

 

僕は今このブログを書くという作業によって、今までの自分の枠組みをどんどん作り直していっているように感じる。

 

朝起きてから今このブログを書くまでの間に得た、外来からの経験や思考のインプットを、アウトプットする時間になってきた

 

短い期間だが、引っ越しのバイトをしていた時がある。

 

引っ越ししたのはいいもの、家財が大きすぎて玄関から入らないから、他の場所から入れ込めるか角度を変えてみたり、二階から入れ込んでみたり。どうにか入るように頑張ってみましたとか。

グランドピアノを買ったので壁をぶち壊して中に入れた。

なんて話を時々聞いたりした

 

今僕が日々学んでいているものは、巨大な家財だったり、グランドピアノだったりする。

それを僕の家に収めるためには、扉を外し、壁を壊し、床の補修工事や防音工事をしないといけない

 

自分自身を壊し、再構築をしていかなければ、そんな巨大なものは僕の中に入らない。

 

その中に入れていく工事の一つが、今書いているブログだったりする

 

そんな気がする

 

でも、入ってくるもの全て入れていくわけにはいかない

珍しいだけだったり、異様なだけで、支離滅裂だったり、邪悪であったりする思考だって存在するわけだから。

 

ある程度は、自分の中でのフィルターが必要だ。

 

自分に聞いて、容量を拡大してみて、手持ちの判断基準を棚に上げて、場合によってはそれを棄てて、新しいものに書き換えてもいいのか、いけないのか、それを自力で判断していかなければならない。誰も僕の判断が正しいかどうか間違っているかどうかは教えてくれない。

 

そこのところの力を今の学校教育は奪っていっている

 

正解があるのが普通になりすぎている

だから困ったときに正解を探してしまう

 

最後に書いたように正解かどうかは教えてくれないし、誰にもわからない

 

 

頭の中だこねくり回していたってわからないし、決めるときは直感なんだと思う

 

これは賭けみたいなものだ

 

でも実際、普段の生活でも「ここ一番」というときには「そういうことを」をやっているはずだ。逆に「これだけは違う」っていうのも言語化できなくても感覚的わかると思う

 

人間も動物なのだから、来たものが「自分の生きる上で、知恵と力を高めてくれるもの」かどうかはなんとなくわかる

 

 

だからこそ、今の鈍ってしまった身体を、より自然に野性的に戻していくべきだ

そこのセンサーをもっと高めるためにも

 

 

ここまで読んでくれありがとう

 

それではまた明日