物は大切に
今日、愛用していた鉈を使おうと鞘から出してみたら
(コメリで売っている安物の鉈だけどね)
ところどころに錆がついていた
やってしまった、、、、
この前の雨ふりの時鞘の内側が濡れてしまったらしい
本当に申し訳ないことをした
そのせいかその後鉈で指を切りました(笑)
去年の僕とは違った外仕事に対する変化と言えば、自分の道具を持ち始めたということだ
いままでは「あらえびす」にある道具をいろいろと使いまわしていたがどうも扱いが乱雑になってしまっていたことを謝ります
すいませんでした
野球をやっていた時はグローブやスパイク自分が使う道具は大切に扱っていたことを忘れてしまっていたらしい
大切に扱ったものはその時々でしっかりと答えてくれる
例えば、ギリギリの打球にグローブの先が引っかかってくれたり、イレギュラーバウンドしたときうまくグローブ内に収まってくれたり
これが不思議なもので手入れを忘れて試合に臨んだ日は、どうも補給の時にしっくりと収まらなかったりする
イチロー選手も自分のグローブやバット以外の他の選手のものは最小限にしか触らないらしいそれだけ自分の身体感覚と一体化させている
(それは職人さんなんかもそうなんだと思う)
それ以外のノイズはできるだけ自分入れないようにしている
だからあんなプレーが出きているのだろう
グローブのバットも自分の体の延長線上のものだ
自分の身体と同調できいなければいいプレーだってできるはずがない
そうなってくると自分あった型を追求しだすものだ
同じものなんて存在しない、それぞれの自分に合った型が存在するはず
ちなみに僕の場合はポケットは2か所作り1つはちょい深めで作り、もう1つ浅めに広くに人差し指と中指の間は少し緩めあとの間は程よく占める、自分で湯もみをしたり紐の一度ほどいt、、、すいません話が長くなりそうなのでいったん切ります
長く使ったものには魂が宿ると昔から言われている
そうやって宿っている神様を「付喪神、九十九神」なんて言ったりする
これは本当に存在すると僕は信じている
自分も道具に助けられたという経験もあるというのは上に書いた通りだが、実際に先輩の長年使っている道具を握らせてもらったりすると全然違う
感覚的なものなのでうまく文字に起こせないが、「あ、これは、、」ってなる
そんな道具に出会ったからこそ、今までの自分の扱いが失礼なものだと思った
自分の道具なのだから大切に扱わないと
当たり前の話なんだけどね
そうやって扱ってこそ些細な変化に気くらしい
他人が持っただけで、少し使用しただけで異変に気が付くことができる
その域にはやくいきたい
ここまで読んでくれてありがとう
それでは