道徳とは何か

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学校の授業で「道徳」という授業があったはずだ

 

よくよく考えると変な授業だったなーって思ったので、

 

今日のブログは学校「道徳」のことについて少し書こう。

 

「道徳」ってのは子供一人一人違った価値観のなかに一つの固定させた価値観を刷り込む作業のように感じた

 

その価値観っていうのも少し時間が過ぎただけで、あっさりと変わる

昔は男尊女卑な価値観の時もあったが今は違う、現在もそんな男の人いるとは思うが、よい見本とはされないはずだ。女は男の後ろを歩くべきだ、なんてことをネットに発言したらきっと盛大にたたかれるだろう

あっさりと変わっていくものを、簡単に「これが道徳だ」なんて決めつけるのも変な話だ。

そもそも誰がどうやって決めたのやら

 

その道徳の授業の内容で気になるフレーズを何個か挙げてみる

 

道徳の授業と大人の世界は矛盾している

 

  • 食べ物は大切にしましょう」「好き嫌いなく食べましょう

と子供に教えているなかで、

 

日本では年間1900万トンの食品廃棄物が出ており、これは世界の7000万人が1年間食べていける量だという

 

そのうち、まだ食べられるのに捨てられてしまうもの、いわゆる「食品ロス」が500万トンから900万トンもあるといわれている。日本は食料の多くを海外からの輸入に頼っているが、その半分近くを捨てている状況だ。

 

「食べ物を大事にしましょう」は自分の親が農家さんならよくわかる話だと思う

席に座って、ノートをとるだけのような授業では、その時は確かにそうだ!って思うかもしれないが、時間がたてば薄れていく

 

ほんとに食べ物の大事さを知らせたいのなら、実際にやらせるべきだと思う

汗水たらして自分で育てる、という経験が一番影響を受ける気がする

ちょっと過激かもしれないが動物の解体シーンを見せもいい

普段自分らが食べているお肉や野菜がどうできたのか

その根本的なところを教える必要があると思う。

 

僕も小学生低学年のころ実際に鶏を解体するという経験をしたことがある

あれはほんとに衝撃的だった、

今でもそのころの映像はよく思い出せる

 

  • いじめはやめましょう」「友達と仲良くしましょう

これも、ものすごく単純な話で、子供に友達を大切にしましょうっていうのなら、国と国だって仲良くしないといけない。子供に「いじめはいけない」と教えるのなら、国だってよその国をいじめてはいけない。武器を持って喧嘩するなんてもってのほかだ。

 

なのに現実はそうではない

 

 

どんな理由があっても喧嘩してはいけないと教えるなら、そんな理由があっても戦争はしてはいけないという話になる。

 

 

 

ところが、大人たちはどういうわけか、そっちの話は目をつぶる

子供の道徳と国家の道徳は別物らしい

 

本当に戦争はやるべきではないと考える大人が子供に教えないと筋が通らない。

道徳云々言うのなら、まずは自分の道徳は守らないといけないと思う。

 

 

・「嘘をついてはいけません。正直にいきなさい

これは、道徳の定番のフレーズだと思う、道徳の教材にあるイラストでよく目にすのが、電車で席を譲らない大人とその目の前に立つ年寄り、その時自分の座っている場所をどうするかって感じで話が進んでいく。

 

そもそもこの状況には正解がない

そりゃ、いかにも体調の悪そうな人が目の前に立っていたとしたら僕だって席は譲ると思う。

でも学校ではこの質問に答えが決まっている

 

「お年寄りに席を譲る」が正解だ

 

それ以外に「眠ったふりをしてやり過ごす」とかいっても先生はマルをくれないだろう

 

でも席を譲るのが正解なのだろうか

 

これって自分に嘘をつけって言っているのと同じに感じる

 

昔から年寄りに席を譲るっていうのは当たり前だったのかもしれない

でも今はその席を譲るという行為の間に、譲ると自分も「気分がいいから」なんて付け加える、

席を譲ることは気分がいいという対価を受け取るためなのか

だとしたら席を譲って気分がよくないなら、席を譲らなくていいという理屈になる

 

だいたい子供だけが席を譲らないといけないのか、そもそも周りにいるであろう大人が率先して席を譲って、子供に教えてやらないといけないと思う。

ただそんなおせっかいをしてくれる大人はかなり少なくなってるんじゃないかな

 

気分がいい、気持ちがいいから「~しましょう」というのを教えてくるが、それはわざわざ教科書に書いて教え込むことでもないと思う。

 

手品の種をばらすのと一緒だ

 

そういうのは自分自身がやってみて発見してこそ意味があると思う。

 

いいことしたら気分がいいぞ、気持ちがいいぞって書いてあるのはどうも薄っぺらいし、インチキ臭い

 

こういうのを真に受けて大人になってもいい事はほとんどないんじゃないかな。

 

じゃあ何でこんな授業するのかっていう話になる

 

 

そもそも学校の授業のことで言ったら、小、中学校までの勉強は1年ちょっと真面目にやれば全部終わる内容らしいですよ

 

 

とりあえず道徳がどうのって言ってる人はあまり信用しないほうがいいのかもしれない

 

 

いい人を演じたいなら道徳の教科書は熟読すべきだ一冊だと思う
教科書に書いてあることをきっちりと守っていけばいいだけだ

ただ、いい人演じてもまじでいい事ないからあまりおススメはしない

 

 

 

時代を作る人は、いつだって古い道徳を打ち壊してきた。誰かに押しつけられた道徳ではなく、自分なりの道徳で生きた方がよほど格好いい。
 自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則だ。
 今の大人たちの性根が据わっていないのは、道徳を人まかせにしているからだ。それは、自分の人生を人まかせにするってことだと思う

 

 

 

読んでくれてありがとう

 

それではまた明日